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メンタリティはすっかり中国人になってる気が

残留孤児の原告団、5日に首相と面談…国の「謝罪」願い(読売新聞)



 中国残留孤児に対する新支援策を盛り込んだ改正中国残留邦人支援法が先月末に成立したのを受け、集団訴訟の原告団が5日、首相官邸を訪れ、福田首相と面談することになった。

 全国の訴訟は、損害賠償請求権を放棄した上で、和解か取り下げで順次終結する。しかし、国の謝罪や責任を認める言葉がないことにわだかまりを残している孤児は多く、首相の言葉に期待を寄せる人もいる。

 法案が成立した先月28日、記者会見した兵庫訴訟原告団長の初田三雄さん(64)は「死ぬまで残念だ」と厳しい表情を見せた。

 平均で月8万円の生活保護から、最低14万6000円の支給を保障される新支援策に変わるのは、孤児たちにとって大きな成果だ。それでも初田さんが納得いかないのは、収入や財産を調査し、支給に反映させる「収入認定」という生活保護と同じ手続きが残ったことと、国から謝罪も賠償もないことだ。初田さんは、生活保護は尊厳を傷つけるとして受給を拒否し、空き缶拾いで生活してきた。

 「私たちの苦しみは、自分の責任ではなく政府の責任なのに、生活保護からの脱却も謝罪も賠償もない」と悔しがる。

 静岡県に住む中国残留孤児の原野洋さん(61)も、心に区切りが付かない一人だ。 中国では、「小日本鬼子」といじめられ、進学や就職の道も閉ざされた。一刻も早い帰国を望んだが、1972年の国交回復後も日本政府は帰国支援をしてくれず、80年12月、妻と2人の子を置いて自力で長男と永住帰国に踏み切った。

 帰国後は、妻子を呼び寄せるため必死に働いたが、意思疎通ができずにストレスがたまり、胃かいようで2か月間入院。貯金をする余裕はなく、親子5人が再び同じ屋根の下で暮らせたのは4年後のことだった。

 おかずはキャベツだけで、病院にも行けない生活が続き、転職した先は中国に行って機械を売るメーカー。中国語を生かせる仕事で給与も増えたが、また家族と離ればなれとなり、1年に十数日しか家に帰れない日々が20年以上続いた。

 新たな支援策は、原野さんの収入レベルでは対象にならない。一昨年、原野さんは肝硬変になり、妻から生体肝移植を受けた。休職中の今も治療費や東京の病院への往復運賃が毎月15万円かかるが、医療費支援を受けられる見込みはない。

 「日本政府は何もしてくれなかった。苦労して一生懸命働いた人は報われないし、国の責任を認める言葉がないのも納得できない」と話す。

 一方、原告団全国連絡会代表の池田澄江さん(63)は「神戸地裁以外は訴訟もすべて負けており、支援策を作ってくれたこと自体、国の責任を認めたということ。孤児たちは、それは十分、心の中ではわかっているのですが……」と複雑な心境を吐露する。 老後に不安を抱える孤児にとって、新支援策は大きな成果だが、戦後ずっと祖国の冷たさに苦しんできただけに、凍った心を解かす言葉が欲しいと思うのもまた当然だと思う。

 「謝罪が難しくても、せめて、『あなたたちは異国に残され、帰国しても、日本政府の政策が不十分だったから苦労しましたね。これからは日本国民として、日本政府が応援していきます』というようなねぎらいが欲しい。心が温かくなるような言葉を」。池田さんはそう期待している。

 13日には東京高裁で、全国で初めて取り下げによって訴訟が終結される見込み。福岡など複数の原告団は、和解勧告での終結を目指すが、すべての原告団が、謝罪やねぎらいの言葉を国側に求めている。
今更ぐだぐだ言うな
と、言うのが正直な感想
どうせ謝罪が出たら今度は金をせびりに入るんだろうし( ´_ゝ`)

てか
中国残留孤児→日本が悪い
在日朝鮮人→日本が悪い
で、在日擁護の人はこの件についてどうコメントするのか聞いてみたいところでもありますな(==


あと
>中国残留孤児の原野洋さん(61)
・・・戦後生まれ?
by xell_rainy | 2007-12-04 23:48 | ニュース関係
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