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それはどの平行世界の『中国』?

「感謝」と「謝罪」:「謝」、日中間の感性の違い(livedoor ニュース - MAO的コラム 中国語から考える 第2回−相原茂)



 ささいなことをとりあげよう。

 例えば、今日友達に夕飯をごちそうになった。そうしたら「いや、ごちそうになりました。ありがとうございます」という。

 で、翌日でもいい、数日後でもいい、会えばもう1回ぐらいは「この間はごちそうになり、ありがとうございました」というだろう。

 こういわれると、いわれた方も気持ちがいい。逆に、お礼をいわれないと、「なんだあいつは、ありがとうの一言もない」となる。礼をいえ、と強制するわけではない。しかし、いわれないと面白くない。もう、ごちそうしてやるものか、と思ったりする。相手の人間性を疑ったりする。

 こんなわけだから、僕らは友人と会うと、まず「このあいだ会ったとき何かお世話にならなかったかなあ」と考える。少しでもお世話になったり、それらしきことがあれば「この間はどうも」と挨拶をする。こういっておけばまず安心だ。相手も「いや、こちらこそどうも」と挨拶を返す。

 このように、日本人は過去のことについて、よくとりあげ礼をいう。

 ところが中国人は、過去の事についてあまり感謝しない。一度はその場で「ごちそうさま、ありがとう」という。しかし、次に会ったときはそれについてはもうふれない。お礼はあのときに済んでいるのだから、繰り返さない。これが基本だ。

 なぜもう礼を言わないのか。ひとつには、わざわざまたお礼を繰り返すなんて水臭い、他人行儀だと感じるらしい。世話になったり、世話をしたりは、親しいもの同士ならあたりまえのこと、わざわざ取り上げるまでもない。もうひとつには、あえて再び持ち出すことで「あれはおいしかった、またご馳走してください」と催促しているような気配も生まれるという。そんなわけで中国人は2度目に会ったときでも「ありがとう」とお礼はいわないのが普通だ。

 ところで、中国人が何度も繰り返しいうことがある。それは「あやまる、詫びる」という行為である。これは一度では済まない。折あるごとに言い、謝り、詫びる、それでこそ本当の謝罪であり、心がこもっていると考える。そうしなければ相手は納得し、許してくれないだろうと考えるのだ。さらに彼らはことばだけではなく、何らかの行動をともなった詫びでこそ本物だと考える。

 日本の「この間はどうも」はもう挨拶言葉になっている。心がともなわなくてもいい。おつきあいの潤滑油みたいなものだ。

 中国の「申し訳ない」は挨拶言葉ではない。真心をこめ、心からあやまる。

 日本のある雑誌で、中国は日本から多額の有償無償の援助を受けていながら国内向けに宣伝してないし、少しも感謝の言葉が聞かれないと論者が憤慨していた。「感謝する」ことに日本人は敏感だ。

 反対に中国人は謝ること、謝られることに敏感だ。

 「謝」という漢字はおもしろい。頭が垂れ下がり、草花がしおれる形だ。これが感謝するであり、謝罪するだ。どちらも「謝」で表される。この基本的な行為について、日中でかくも感性が異なる。(執筆者:相原茂)
はいはいダウトダウト

ベトナムに「もっと未来志向にならなければならない」とか開き直った馬鹿はどの国だったかなー
by xell_rainy | 2006-05-21 09:04 | ニュース関係
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